純愛には程遠い戦争の跡地で
「今日、積もるんだって」
窓の外には雪が降っている。
どんよりとした不機嫌な冬の空はこの地域に嫌という程雪を吐き出し、そして知らん顔をして去っていく。何をするでもなくベッドに寝転び窓から雪を見上げている春夏冬閖は人差し指で曇った窓に指を滑らした。Fuck You.誰に向けるでもないその言葉の跡からは水が垂れ落ち、閖の指を濡らした。閖の言葉にヘッドホンを外した雪田雪は軽くなった煙草の箱から一本を取り出す。最後の一本が入った箱を閖に投げて渡し、目を伏せてライターでゆっくりと煙草に火をつける。吹き出した煙は外の雪よりも白く儚い。
「雪、火ちょうだい」
ライターを投げて渡そうとすると、閖は首を横に振って雪に顔を近づけた。エアコンもヒーターもついていない部屋の空気は頰を刺すように冷たい。毛布を被ったまま閖は雪に顔を近づけた。
「そうじゃなくて」
まるでキスをするように咥えた煙草の先を雪の煙草にくっつけて閖は微笑んだ。角度を変えぴったりとくっつけるとそのまま深く息を吸い、燃え移る煙草の火を見つめる。薄暗い部屋に光る小さな赤い火は二人の顔を薄く照らし出した。火に照らされたまるく大きな閖の眼球の窪みはアイシャドウを塗ったようにつややかに光っている。雪も息を吸うと火の燃え移りが大きくなり、完全に閖の煙草にも火がつく。
その様はまるで何かの神聖な儀式のようだ。煙草を離し、閖は大きく息を吸って吐き出した煙を雪の顔にそっと吹きつける。目を細めて顔を逸らすと閖は楽しそうにくすくすと笑った。二人だけの秘密を見つけたように閖の瞳は怪しげに光っている。
「雪、かわいい」
「やめろ、煙い」
「だって楽しいんだもん」
閖は子供のように笑うのをやめない。雪は不機嫌そうに顔を逸らすが、内心そんなに嫌とも考えていなかった。楽しそうな閖の姿を見ていると日常に浮かぶ閖の泥のように深い闇を見なくて済むからだ。こうしてふざけ合っている時の閖からは普段閖を纏う粘着質な性的な香りが紛れ、年相応の大人とも子供とも言い切れない無邪気な姿だけを映し出している。手首や身体中の痛ましい傷から目を背け、光のない虚ろな瞳にも煙草の火が映っていることを確認できる。後ろめたい二人の関係も薄暗闇に消えていくようだった。去年の冬は閖と寝ていた記憶ばかりが残っているからたまにはこういう日常らしい風景も残しておきたいと雪は考えていた。たまにはこんな日があっても良いかもしれない。何も身体を繋げることだけが全てだとは思いたくなかった。それでは余りにも悲しすぎるからだ。閖の瞳に浮かぶ無機質な闇はいつだって雪の身体を求めている。それに気づいてからは雪にも薄暗い闇が付き纏うようになった。身体を繋げている内は閖の闇は消えることはない。もっと別の方法で煙草の煙のように儚くいつか消えてしまいそうな閖の存在を残すことはできないだろうか。しかし、そんな方法はないことも実は雪は理解していた。だから、結局なるようにしかならないのだ。身体を繋げることでしか閖の闇を共有し続ける方法はない。
「ねえ、雪、この部屋あまりにも寒くない?」
「しょうがないでしょ、寮には暖房器具ないんだから」
「じゃあどうやって身体を温めたらいいの?ねえ、雪」
分かってるくせに。
閖はその言葉を口には出さずに煙草の煙を吐き出した。缶の飲み口にに吸い殻を押し付け、誘うように足で雪の耳に触れる。冷たくなったピアスが長いスラックスの下に何も足に身につけていない閖の足の指に触れた。マニキュアで黒く塗られた足の爪は部屋の電灯の下で冷ややかに光っている。
「閖のそういうところ、嫌い」
「じゃあどこが好きなの?」
立ち上がった雪は靴下を脱いでベッドに膝を下ろす。二人分の体重に軋んだベッドの毛布は冷たくなっていた。
「俺は雪のそういうところが好きだけどな」
そういう分かりやすいところ。
塞がれた閖の小さな唇から冷たい息が漏れる。分かりきったように目を閉じて唇を密着させる閖に、雪は眉にしわを寄せながらため息をつきたくなった。
「ほら、結局こうなる」
雪のぼやきは窓の外の雪のように部屋に溶けて消え落ちる。厚いパーカーを這うように差し入れ腹に絡みついた閖の手はまるで死人のように冷たかった。
キスなんてセックスに必要のない行為だと閖は断言する。それでもこうして行為の前にキスをしてしまうのはそれがセックスにおいての様式美になっているだからだ。冷たい唇は常に行き場を求めている。心地良い柔らかな雪の唇はきちんとした手順を追って閖の口内に侵入していく。キスとはまるで侵略のようだと閖は考える。口内を荒々しく探られるのは体内に身を埋められるのと同じくらい気持ちが良い。他人に侵略されるのは閖にとって心地の良い感覚であり、自らを曝け出すひとつの大きなきっなけになるのである。煙草ではない本物のキスをして、侵入した舌に自らの舌を絡めると温い唾液が唇を濡らして行くのが分かる。自分の口いっぱい他人の舌で塞がれると抗えない心地よさと興奮を感じる。ごくりと音を立て唾液を飲み込むといよいよ事が始まっていくのが分かる。わざとピアスを当てて音をさせたり小さく雪の舌を噛んだりするとおもしろいように雪は深く舌を絡め出す。雪も興奮している事がよく分かって、閖はこのように雪を煽るのが好きだった。キスをしながら雪のパンツに手を突っ込み奥を探るとびくっと小さく跳ねた雪の性器が芯を持ちつつある事が分かる。
「もう興奮してるの?」
「冷たいからいきなり手入れんな」
「ここはあったかいよ」
雪の肩に顎を乗せ、そのまま性器を弄っていると先走りが溢れてくるのがよく分かった。スラックスに手を入れたままもう片方の手で雪の肩を押し、先程とは反対の姿勢になり雪を押し倒す。雪のパーカーを脱がせてシャツを捲り上げると胸の頂に舌を降ろし、スラックスと下着をずり下げると苦しそうな性器が顔を現した。そのままちろちろと舌先で乳首を舐めながら右手で苦しそうな性器を上下に擦ると雪は左手で口元を押さえ気持ちよさそうに喘ぎ声を漏らした。
「っは…あ、」
「雪、気持ちいい?もっとしてあげるね」
先端を掌で擦り、先走りを性器全体に広め扱くスピードを上げると、張り詰めた性器は苦しそうに血管を浮き立たせた。時々軽く爪を立てながら下からなぞりあげると雪の身体はびくりと震える。手で輪っかを作り、きつめに扱きあげると雪は声にならない声を漏らし、快感に身を捩った。
「雪、かわいい。ここぐちゅぐちゅ言ってるよ、俺も興奮してきちゃった」
閖は雪の性器を扱きながら自らの下着に手を差し入れ、自らの性器に触れた。
「は…あ、あ…」
雪の身体の横にぴったりと身体をくっつけ、自らの性器を扱くと閖の乾いた唇から温い息が漏れた。雪と舌を絡め合い、雪の性器を握る手と同じスピードで自らを扱き上げると、手の甲を噛んで声を押し殺していた雪が断末魔のような小さな叫びを上げた。
「あ…は、あっ!」
閖の掌に射精した雪は脱力してベッドに両手を放り出す。閖の右手に広がった雪の精液は薄くてさらりとしていた。
「いっちゃったね。気持ちよかった?」
「はあ、はあ…」
雪の精液が付着した指を舐めながら閖は囁いた。そのまま雪にキスをすると、雪は顔を背けそれを拒んだ。
「はい、雪の精液のおすそわけ」
「う、まずい!」
「俺がいつも飲んでる新鮮な雪の精液だよ」
「趣味悪いって…」
「ねえ、俺のことも気持ちよくして」
雪の下着とスラックスを脱がせ、自らも脱ぎ服を放り投げると、閖は雪の精液を後孔に塗り、指をそっと差し入れた。自らが感じているところを見せつけるようにぐにぐにと指を動かし、二本入るようになったところでベッドに膝立ちになる。
「雪、挿れるよ」
閖の痴態を見てすっかり元気を取り戻した雪の性器を後孔に当て、閖はゆっくりと腰を落とした。
「あっ、入ってくる…っ!」
先端を迎え入れ、ゆっくりと竿に腰を下ろしていくと雪も時折苦しそうな顔を見せる。一番太いところに差し掛かると閖は力を抜き、飲み込むように一気に体内に性器を埋めていった。根元まで入れ終えると、雪も身体を起こし二人向かい合う姿勢になる。
「なんでやりまくってるのにこんなにきついんだよ…」
「はあ…全部入ったぁ…」
閖の細い糸のような長髪が雪の頰に触れる。雪の首に両手を回すと、閖はゆっくりと腰を上げて動き出した。
「は…あっ、あっ!」
浅い息を吐き出し、自らの良いところに当てるように腰を動かす。まずは浅く、だんだん深く。動きが軌道に乗ると、雪は閖の腰を掴んで上下に大きく揺さぶった。その度に閖は泣くような甘い声を吐き出す。
「あっ、気持ちいいっ、はあっ!あっ…ん!」
苦しそうに快感に歪む雪の顔はほんのりと紅潮している。目に涙を溜め小さく叫ぶ閖は雪の首から手を抜き、手探りでベッドの上のカッターを手にしてあろうことか包帯の上から手首を勢い任せに切りつけた。
「あっ…閖っ、何して…!」
「あ、はあ…気持ちいいっ、気持ちい…!」
血が包帯を赤く染め、手首に滴り落ちた。そのままざくざくと何箇所かに刃を横に滑らせる。閖はもう雪など目に入っておらず、自らの快感だけを追い求めていた。動きながら切るものだから予想より深く刃が食い込んでおり、左手首はいよいよ血だらけになっている。
「閖っ、それ、やめろって…!」
「あは、はぁ…あぁっ、あは…あっ!」
閖は白目を剥きそうなほど快楽に浸っており、雪の言葉は耳には入らない。流れ出した血はベッドにまで滴り落ちる勢いで、当然雪の顔や身体にも降りかかっていた。二人とも血だらけという異常な状況の中、快楽を求めている点においてのみ二人は一致しており、異常な状況だとは理解している雪も閖を動かす手は止めなかった。
「は…もう閖、退け…っ」
限界の近かった雪は閖から一度自身を引き抜き、百合を押し倒して背中を向けさせた。そのまま後背位の姿勢で性器を押し込む。閖は切なそうに唇を噛み締め、その刺激に背中をびくりと大きく反らした。
自分本位に荒々しく腰を動かすと、その振動に合わせて閖は消えそうにか細い声を上げた。閖のベッドの枕元は流れ出す血で真っ赤になっている。
「あっ、あっ、くらくらするっ、あっ!」
「は、もう少し…だからっ」
ベッドに顔を押し付け、だらりとされるがままの状態になった閖はまるで死んだ人形のように見えた。暴力的な快感を逃すために曇った窓に手を押し付けると、閖の掌と爪を立てて落ちて言った手の形が窓を濡らした。濡れてくっきりとした窓からは相変わらず雪が降り続いている。体温が上がり、すっかり火照っている二人の前で雪はアンバランスに思えた。雪は半目に窓のくっきりした部分を見つめて、ああ、冬だな、と頭の片端で思った。下では閖が死にそうな声を上げて鈍く身体を震わせながら血を流し続けている。そろそろ止めないとまずいなと思い、雪は閖の腰を掴んでスパートをかけた。
二人が達した後で、先程閖が窓に叩きつけた手の跡はうっすらと曇り始めていた。行為が終わると途端に寒い部屋の空気を思い出し、雪は急いで上着を羽織った。はあはあと息を吐き出しながら動かない閖に毛布をかけてやり、ティッシュで二人分の精液を拭うと、雪はベッドに広がる参事にため息をついた。
「血だらけ…これ、どうすんの」
「捨てる…」
閖は血だらけの枕に顔を埋めたまま小さく答えた。上着を羽織った雪は新しい煙草の箱を開け、一本を抜いて閖の方へ投げて渡す。
「ねえ雪…」
冬だね。
閖は曇った窓を手で拭き、外の雪を眺めながら雪に言った。雪は煙草の煙を吐き出して「そうだな」と閖に言葉を返す。
外には雪が降っている。
閖の傷を手当てするため雪は新品の包帯を手に取った。結局二人を温めること、そして繋げることができるのはセックスだけで、閖は行為が終わるたびどうしようもなく後ろめたい気持ちになるのだった。ほら、やっぱりこうなるのだ。閖はまだベッドの上から動かないが、後ろでかちりとライターで火をつける音が聞こえた。頭を抱えたくなるほど寒いこの部屋に二人の温もりはもうどこにもない。窓の外の雪とともにこの後ろめたい気持ちも消えてしまえば楽になるのになと雪は思った。雪なんて降ったところで何も良いことは起こらないのだ。
これでは去年の冬と同じではないか。
これから何年もこうやって同じ冬を過ごしていくのだな、と雪は考えた。閖と雪の間にあるのは確かな何かであり、同時に空虚な何もない空間でもある。それをセックスと呼ぶにはあまりに趣味が悪い。
この気持ちに名前をつけるなら、と雪は考えた。答えはまだ見つかりそうにない。
外には雪が降っている。
外には雪が降っている。